名護屋城は、今から400年程前、全国平定をなしとげた豊臣秀吉がさらに朝鮮半島、明国(今の中国)へ向けて出兵(文禄、慶長の役)するため、その前進根拠地として築かせた城です。
もとは、松浦党波多三河守親(ちかし)の家臣名護屋越前守経述の居城(垣添城)であった所を大きく改造したものです。加藤清正が設計し各大名に分担させてわずか5ヶ月で築かせたものです。
この周辺には、徳川家康、伊達政宗、毛利秀頼、黒田長政、加藤清正など全国の諸大名が陣屋を築いていた。また、秀吉は能や茶の湯といった文化を持ち込み茶会を催していた。茶室跡が発見され話題をよんだ。
桜の名所でもある。
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